聾唖教授手話法(鹿児島):1909(明治42)年再版発行(初版は1902年発行)
この研究について

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 本研究は,平成21年~22年度 日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)「手話形態素辞書作成とその応用の研究」(研究代表:神田和幸)及び平成23年~25年度 日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)「形態論的日本手話文法研究とその応用の研究」(研究代表:神田和幸)の分担研究として、大杉豊(筑波技術大学)が実施した研究による成果の一部です.

研究テーマ

 「聾唖教授手話法」の電子データベース化

研究の方法

  1. 鹿児島県立図書館に保管される「聾唖教授手話法」のコピーを入手しました.
  2. 同書に所収される語彙と説明文,そして語彙の読み方,ページ数をリストに整理しました.明治時代の表記法が使われている語彙及び説明文は現代表記に変更しました.
  3. 語彙一つひとつの手話表現を説明文に従って再現しました.この再現作業に岩村眞一氏のご協力を得ました.
  4. 岩村氏をモデルに手話表現を映像に収め,ウェブサイトで閲覧できるデータベースを作成しました.
  5. 鹿児島県在住の高齢ろう者にこのデータベースを見ていただき,意見を頂きました.(2012年1月)
  6. 現在はいくつかの再現された手話表現について再検討を進めています.(2013年4月現在)

「聾唖教授手話法」について

 本書は日本に現存する手話語彙集では最古のものとみられ,現在は一冊が鹿児島県立図書館に保管されるのみと思われます.54ページからなり,見出し語は合計528語になります.奥付を見ますと,編集兼発行者は佐土原(さどばる)すゑ,印刷および発行所は私立鹿児島盲啞学校(印刷部)と記載されており,さらに明治35年10月31日に初版が発行されていることがわかります.

 私立鹿児島盲啞学校は1900(明治33)年7月5日に鹿児島県知事の認可を受けて設立された私立佐土原学校が1903(明治36)年2月10日に鹿児島県知事の認可により名称を変更したものです.よって、「聾啞教授手話法」の初版は私立佐土原学校の名称で発行されたものと推測されます.当時鹿児島ですでに耳の聞こえない子どもに手話による個人教授をしていたろう者の伊集院キク氏が,佐土原学校創立時に雇用され,設立者の佐土原氏(非ろう者)とともにろう児に国語,算数,図画,裁縫などを手話で指導していたことがわかっています.

 伊集院氏は京都府盲啞院を1895(明治28)年に卒業,佐土原氏は1899(明治32)年3月31日より1900(明治33)年3月31日までの1年間東京盲啞学校に教員として雇用されていたことが各校の同窓会名簿で確認されています.

 「聾啞教授手話法(再版)」は目次と本文のみで構成されているため,本書所収の手話語彙の源を直接に知る手掛かりはありません.野呂2006は本書の性格について,東京盲啞学校に開設された教員練習科に関する文献の調査から「『聾啞教授手話法』は,手話を十分に習得していない初等部低学年の生徒に対して指導するために,聴者教師が手話を正しく学習できるように意図されたものと思われる.」と推論しています.

 京都府盲啞院は1878(明治11)年の創立,東京盲啞学校は1880(明治13)年の創立になります.よって,伊集院氏は創立17年後の京都府盲啞院,佐土原氏は創立20年後の東京盲啞学校に関わっていたことが事実として認められます.すなわち,両氏ともそれぞれの学校である程度発展した手話に接していたということです.伊集院氏は卒業後鹿児島で5年間の個人教授経験を経て,東京盲啞学校の教職を解かれたばかりの佐土原氏と出会い,両氏は1900(明治33)年に私立佐土原学校で手話による指導を開始したのです.その二年後となる1902(明治35)年,伊集院氏が私立鹿児島慈恵盲啞学校に移る前に,佐土原氏が「聾啞教授手話法」の初版を発行したという経過があります.

 以上を見ますと,伊集院氏と佐土原氏がそれぞれ京都府盲啞院と東京盲啞学校で学んだ手話語彙の両方が「聾啞教授手話法」に反映されていると見るのが妥当ではないかと考えられます.(2013年4月19日 大杉 豊)

参考:野呂一(2006年).明治後期の東京盲唖(聾唖)学校における教育内容の歴史的一考察 全国ろう児を持つ親の会(編) 小嶋勇(監修) ろう教育が変わる! 日弁連「意見書」とバイリンガル教育への提言 明石書店.

論文の掲載について

大杉豊(2014年).手話人文学の構築に向けて-「聾唖教授手話法」を読み解く.日本手話研究所(編)手話・言語・コミュニケーション.No.1:104-144.文理閣.

概要:英語や日本語など言語資料を豊富に揃える音声言語と比して,手話は文字を持たない特殊性から言語資料が乏しいために,手話を対象とする人文学の発展がきわめて遅れている現状がある.本論はまず「手話人文学」の定義を試み,この学問の基盤として「手話文献」の整備の重要性を論じている.そして,数少ない貴重な手話文献である,「聾唖教授手話法」(私立鹿兒島盲啞学校印刷部:1909(明治42)年)の記述内容をもとに528語の手話表現を再現し,そのデータ分析結果から当時の語彙形成事象の再構築を展開した.そして「手話人文学」の基盤となる「手話の文献」の電子化と共有化の重要性を示した.科学研究費補助金基盤研究(A)分担研究(平成21~25年度)の成果の一部である.