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お知らせ2017.09.08

デフリンピック金メダリストインタビュー② 宇賀耶早紀(本学4期生)

- PROFILE -
栃木県出身の26歳。全日本の栗原恵と大山加奈に憧れて始めたバレーボール歴は約15年目。2013年のデフリンピックでは銀メダルを獲得。今年の7月にトルコのサムスン市で開催されたデフリンピックでは、女子キャプテンとして出場し、予選4試合、決勝トーナメント3試合の全7試合3−0のストレート勝ち、デフリンピックでは16年ぶりとなる金メダル獲得に貢献。

-バレーボールの魅力は何でしょうか?

 1本目、2本目、3本目と多様な技術で繋ぐチームプレーが見ていて面白く、どんなに難しいボールでも諦めない気持ちが勝利に繋がるというところです。全ての技術を揃えていなくてもポジション毎に自分の得意分野で勝負できます。

-16年ぶりの金メダル獲得おめでとうございます!今回の大会の結果を受けていかがでしょうか?

レース
金メダル確定後、みんなで抱き合う

 これまで積み上げてきた努力と築いてきた道をここで終わらせてはいけないという思いが強かったので、次の新チームに新たに道を切り開き、繋げることができたのは良かったです。全試合ストレート勝ちで16年ぶりの金メダルはスタッフや選手だけではなく、これまで支えていただいた皆さんのおかげで獲得することができたと思っています。応援していただいた皆さんに「世界一」という良い結果を報告することができて本当に嬉しいです。また、表彰式で金メダルをかけて、国歌「君が代」を手話で斉唱したことは一生忘れられない思い出となりました。

-今回の勝因を教えてください。また、チームワークはどのような感じでしたか?

 今回の勝因としては、以下の2つが挙げられます。

①どの国に対しても、日本チームの強みであるどんなに難しいボールでも諦めずに拾いに行く「粘り強い」プレーで、最後までリズムを崩すことなく強い気持ちで攻めることができた。

②今大会のメンバーは初めてデフリンピックに参加する若手が半分ほどで、過去デフリンピック経験者の年上メンバー合わせて6人で構成されたチームだったため、年上のメンバーは、自分たちのプレーだけではなく、若手がプレーしやすいように環境を整えて引っ張り、若手は自分たちの力を十分に発揮できるようにトルコでの生活や試合に集中した。それぞれのポジションの役割をしっかり果たせた。

 最年少で16歳、最年長で33歳と年齢層が幅広いメンバーがいるため、これまでの合宿では意味の伝え方には注意し、難しい言葉を極力避けながら相手が理解するまで説明し、ミーティングを重ねるなど積極的なコミュニケーションをとってきました。

-デフリンピックに向けて取り組んだ内容や普段の練習についてもお聞かせください。

宇賀耶選手

 選手同士でアイコンタクトやサインプレーを何度も繰り返し確認してチーム全員で意思疎通を図っていました。また、聞こえないからこそ、常に相手の顔を見ることも意識していました。ミスが続くと顔を伏せがちになり自分にとってもチームにとっても負の連鎖に繋がるのでどんな時でもメンバーの顔を見ることをチームで約束していました。
 普段は、平日は仕事が終わってからトレーニング、休日は練習や合宿でした。生活リズムの見直しから始め、タンパク質を多く取り入れた食生活とトレーニングや練習時間を確保するために、会社のフレックスタイムを利用してなるべく早く帰るようにしていました。練習内容としては、毎月の合宿で見つけた課題を少しでも改善できるように技術の向上を意識しながらプレーをしていました。

-キャプテンとして取り組んで感じた事はありますか?

 私自身何もしていないですが、コートの中ではどんな時でも声だけは出して行こうと決めていました。勝因にも述べましたが、年上のメンバーは、過去のデフリンピック経験者がほとんどだったので自分たちのプレーの他に、若い選手がやりやすい環境を作って引っ張り、若手はトルコでの生活に慣れることやプレーで十分に力を発揮できるように集中していたことが勝ちにつながったと思っています。トルコに行ってから、選手・スタッフがメダルを獲りたい!という強い気持ちが目に見えてわかり、これまで以上に心が一つになったと感じました。それがチームの力に変わったと思います。

-今回のデフリンピックを通して得られたものはありますか?

 仲間と時間とメダルという一生の財産です。
デフリンピックでのメダル獲得に向けて、合宿や練習、トレーニングに時間を費やし、4年間共に頑張り支え合ってきた仲間、最後にスタッフ・選手全員で金メダルを獲得できた時の喜びは、落ち着いた今でもたまに思い出します。

-今回のデフリンピックの印象はいかがでしたか?

宇賀耶選手

 街中の横断幕や大きいオブジェがたくさんあった。街全体があげてデフリンピックに力を入れていることが分かり、見て楽しむことが出来ました。
 女子バレーは翌日試合があったため、開会式には参加していないのですが、開会式も過去大会に比べて今までにない大規模な会場、パフォーマンスで盛大な盛り上がりだったようです。

-大会期間でのエピソードがあれば教えてください。

 選手村には、宿泊棟から食堂まで約200段近くの階段があり、エレベーターもなかったので毎食毎に昇らざるをえなかった。練習や試合会場へ行くためにも昇っていました。最初はきつかったですが、毎日昇り降りしていたので、1週間後には慣れ、若干メンタルも鍛えられました(笑)

-国内のデフスポーツの発展に必要なことは何でしょうか?また、パラスポーツよりも発展していないのは何故だと思いますか?

 選手各自の努力はもちろんですが、各競技の協会の選手たちに対するサポートがこれまでよりさらに力を入れた取り組みが必要だと思います。今大会の結果がきっかけでデフリンピックの名が広まったと思いますが、このチャンスをものにし、資金面や知名度など様々な不安要素を協会が中心になって解決に向けて動き出すことがより大切になってくるのではないでしょうか。
 パラもデフも障がい者という意味では同じなのですが、聴覚障がいというのは見えない障がいであることから、なかなか取り上げられにくいことが多いと思います。パラは見える障がいを持っているがゆえに、健常者ができることをパラの人ができた時の感動が大きいように感じます。デフも同様にデフの人でも健常者と変わらないことができる感動といいますか、魅力をよりアピールしていかないとパラと同様に注目されるのは難しいと思います。

-今後の活動、競技の目標について教えてください。

 デフリンピックが終わったばかりなので、今後どうするかはまだ明確には決まっていません。ですが、私に多くの経験をさせてくれたデフバレーやデフリンピックに対して何か貢献できることがあれば、積極的にお手伝いしていきたいと思います。


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