「ろう女性の子育て」〜ろう女性による座談会を通して〜(4/5)

―ろう者の母親から生まれる子どもは、同じろう児の場合と聴児(コーダ)の場合とがあります。デフファミリー(ろう者家族)の立場で経験したことや思うことをお話しください。

那須:私の両親はろう者です。父は学校を卒業しましたが文章が苦手で、母の方は学校に行っていませんでした。そのため、「ろう者は知識がない、わがまま、怖い」などの偏見を受けました。家族で手話で話していると、誰かがそれを見て、「(子どもも)ろう者か?」と聞くのです。「そうだ」と答えると「(子どももろう者で)かわいそうだ。」と言われ、嫌な思いをしたこともあります。高校生の時に、多方面で活躍していたろう者に出会ったことで、自分がろう者であることに目覚め、誇りを持てるようになりました。その人も自分と同じように、ろう者の両親を持つろう者です。ロールモデルに出会えたことは、自分のアイデンティティを確立するきっかけにもなりました。母も以前は手話を使うことを恥ずかしがって隠していましたが、(自分が)演劇を始めてからは視野が広がり、手話を使うことに誇りを持つようになりました。

小林:自分が親になってからはどうでしたか。

那須:結婚した後、生まれるのはろうの子どもだろうと思っていたら、やはり2人のろうの子どもが生まれました。ろう児たちが口話でのコミュニケーションに苦しむ様子を見てきたので、自分の子どもは最初から手話で育てようと決めていました。そのおかげで子どもたちとはスムーズにコミュニケーションがとれています。ただ、私が日本語を書き始めたのが6歳からと遅かったので、自分の二の舞にはさせたくないと思い、同時進行で指文字も教えていました。子どもはろう学校の乳幼児相談を受けていましたが、そこでは手話を使用することは禁じられていました。それでも、子どもには手話でコミュニケーションをとることを貫いてもらいたいと思っていましたが、先生からは手話の環境のある他のろう学校の方が良いのではと言われました。しかし、この学校は学生数も多く、学生との共同生活を通して喧嘩などいろいろな経験もできるので、子どもにとってもよい刺激になるのではと私たちは考えていました。なので、家では手話、学校では口話を上手く使い分けるようにします、と家庭の教育方針を話しました。その結果、ろう学校側には理解していただき、入学することができました。同級生のきこえるお母さんたちとの関わりにも悩みましたが、子どもがろう学校を卒業した後、同級生のお母さんたちが手話の必要性に気づいてくれるようになりました。

―生まれた子どもがコーダ(きこえる子ども)の場合、ろう女性は、母子間のコミュニケーションをはじめ、子どもを通して「地域社会とのつながり」をどのように築くかが課題のひとつになってきますが、どのように対処されましたか。

 :私の場合、地域社会との交流は少なくて、娘の友達が遊びに来たときに、その子のお母さんとやりとりするくらいです。娘が保育園に通っていたときに「手話は恥ずかしいから使わないで」と言われたことがありました。そのときに「ママは聞こえないから手話が必要なの。恥ずかしいと思うなら、ママの代わりに聞こえるお母さんを探す?」と言ったら、娘は「嫌だ」と言い、小学校に入ったころにはもう普通に手話を使うようになりました。もしあの時に「ごめんね」なんて謝ったら、やっぱり手話は恥ずかしいんだということになってしまうでしょう。恥ずかしいことでもなんでもなく、普通に手話を使っていることが大切だと思います。そういう姿勢を見せることが、娘や周りの人たちを通して、手話が地域社会の中で受け入れられていくきっかけになるのではないかと思っています。

唯藤:母親自身が考え方をしっかり持つことが必要ですね。でないと子どもに伝わって、子どもがいじめられてしまいます。

 :初めて娘の小学校の授業参観に行ったとき、通訳者から「隠れて通訳した方が良いですか。」と聞かれたことがあります。「そんな必要はないけど、どうして。」と聞くと、別の聞こえないお母さんから「子どもが嫌がるから目立たないように通訳してほしい。」と言われたことがあったそうです。堂々と手話通訳を利用していれば、周りも手話通訳者の存在に慣れてくるし、子どもも恥ずかしいことだと思わなくなるのではないでしょうか。ろう者の子育てについて、様々なロールモデルや情報の提供が必要だと思いますね。

那須: 20代〜30代のろうママの中にも、聞こえる子どもに対して、小さい時は手話で話してもわからないからと声で話しかけていましたが、大きくなるにつれて声では通じなくなり、手話もわからないから互いに伝わらなくなって苦しいという声はよく聞きますね。逆にあまり考えてない人もいますし。

 :コーダについて書かれた本を読んだことがありますが、親と十分にコミュニケーションができず、小さい時から手話を教えてほしかったという声もあるらしいです。

那須:私の考えですが、コーダだから手話が堪能であるべきとは思いません。一人の人間として関心のあること、大工でもいいし、宇宙に行きたければ行けばよい、夢があればそれをやればいいと思います。手話通訳になれとは言わなくてもよいと思います。

 :「コーダだから手話通訳になってほしい」と言うのは私も抵抗がありますし、それぞれ、自分の好きなことややりたいことをしてほしいと思います。ただ、親とスムーズにコミュニケーションできなくて寂しい思いをしないように、コーダも手話ができるといいかなと思っています。



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