「ろう女性としての経験とは」今を生きるろう難聴女性の本音を聞いてみよう。Part2(1/6)

■参加者プロフィール

加藤 優

筑波技術大学大学院技術科学研究科 院生

3歳から15年間新潟聾学校に通い、のちに筑波技術大学産業情報学部で4年間過ごし、学部卒業後は社会人を1年経験。学部で取り組んでいた研究を長く続けていきたいと強く思ったことにより退職し、現在大学院に在籍中。主に音響学や工学に触れつつ聴覚障害者のための環境音学習についての研究に取り組んでいる。近年の学会では情報保障が普及しており、今後とも国内外問わず様々な学会や研究会へ発表することやディスカッションを重ねていけたらと考えている。

管野 奈津美

東京都立葛飾ろう学校 教員

宮城県出身。1歳の時に耳が聞こえないことが判明。東京に引っ越し、幼稚部から高等部まで筑波大学附属聾学校(現筑波大学附属聴覚特別支援学校)に通う。筑波大学芸術専門学群卒業。日本財団助成聴覚障害者留学事業の第3期奨学生としてギャロデット大学大学院デフ・スタディーズ学科に留学し、デフアートについて学ぶ。帰国後、筑波大学大学院構成専攻クラフト領域を修了。専門は現代陶芸。筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターに技術補佐員として5年勤め、ろう者学教育コンテンツ開発プロジェクトに関わる。本業の傍ら、ろう者としての芸術表現、また欧米におけるデフアートの歴史やろう者の芸術活動の動向の整理等に取り組んできた。現在、葛飾ろう学校高等部デザイン系教員として、美術・デザインの指導に携わる。

駒崎 早李

IT系会社 職員

東京都出身。ろう者。幼稚部は聾学校、小学校から高校までは通常学校に通う。東洋大学文学部卒業後、筑波大学大学院に進学し特別支援教育学を学ぶ。今年4月から都内にあるIT系会社にて“障害者採用・社員教育研修”に関連した業務を担当。個人的な活動としては、自身の父親がうつ病であることから、手話で気軽に家族についての悩みや愚痴を語り合う場として、今年の夏に「手話で語るSHG~手和会」を設立。団体の代表として運営メンバーと共に活動中。ゆくゆくは全国に支部を作れればと考えている。趣味は東南アジア旅行で、現地の友人と交流することが好き。20代のうちに東南アジアのどこか、長年の憧れだった長期移住にチャレンジしてみたいと思っている。

中原 夕夏

筑波技術大学大学院技術科学研究科 院生

1歳の時に耳が聞こえないことが判明。乳幼児から小学2年はろう学校、小学3年から小学6年は通常学校、中・高校はろう学校に戻り勉学に励む。筑波技術大学産業技術学部情報科学専攻を卒業後、現在、筑波技術大学大学院技術科学研究科に在籍。将来について明確なビジョンはまだ築けていないが、デフリンピックを目指す聴覚障害の選手をサポートしていくためにもデフスポーツの団体に関わっていけたらなと考えている。

平井 望

筑波技術大学大学院技術科学研究科 院生

群馬県出身、重度の感音性難聴。
群馬県立聾学校を経て、筑波技術短期大学(当時)でデザインについて学んだ後、都内の企業に10年間勤める。2009年デフリンピック台北大会にビーチバレーボール日本代表として出場した経験をもつ。海外留学のために退職し、1年間ロシアでの研修と欧州諸国での大会視察を通して、デフスポーツの運営を学ぶ。帰国後、デフスポーツ運営について研究を深めるために、筑波技術大学大学院に入学し現在に至る。大学院修了後の予定は未定だが、日本のデフスポーツの認知度向上や競技・運営環境の改善などに関する活動をしていきたいと考えている。


小林:みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございます。まず、自己紹介をお願いします。

加藤:筑波技術大学大学院修士課程1年です。2年前に1年ほど社会人を経験しましたが、自分がまだ研究に未練があることに気付き、大学に戻ってきました。これからも研究は続けていきたいと思っていますが、自分が女性である前にどんな生き方をしたら良いか考える機会になればと思っています。

中原:筑波技術大学の大学院で研究をしています。加藤さんの同期です。社会人の経験がないため、まだ知らないところがたくさんあります。是非皆さんの意見を聞きながら勉強できればと思います。

平井15年ぐらい前筑波技術短期大学だった頃に学部生として、デザイン学を専攻していました。卒業後10年間、会社でデザイン専門の仕事を続けてきました。会社を退職して、2015年に1年間ロシアに留学し、デフスポーツについて研修を受けてきました。帰国後は、ここの大学院に入り、デフスポーツについて研究をしています。

管野:昨年の3月まで、筑波技術大学で働いていました。4月からは都立葛飾ろう学校高等部でデザイン系の教員として働いています。筑波技術大学で働いていた時に、ろう女性学プロジェクト関連の座談会に参加して50代から60代のろう女性からのお話を聞いて、当時30歳あたりだった私は、今までキャリアについて考えた事がなかったことに気づき、自分を見つめる良いきっかけをいただくことができました。それもあって転職したというのもあります。

駒崎:IT系の会社に勤めており、採用関係の仕事をしています。小学校から高校までインテグレーションし、筑波大学大学院を修了しました。最初、ろう女性学と聞いた時はピンとこなかったのですが、あらためて考えて気付いたことがあります。職場での上司や偉い方というのはどちらかというと男性の方が多いですよね。最近は会社の中でも女性の役員を増やす、女性の働き方を見直すといった取組みが見られるようになってきています。私は採用関係ので、上司や偉い人の中に女性がいるだけでもすごいなという憧れを持ったことが今までにもあったことに気づきました。

小林:今まで経験したことや悩みなどがありましたらお聞かせください。また、学生時代を振り返って、こういう教育や取組みなどがあればよかったと思うことなどもあれば教えてください。

<ろう女性としての経験とは>

平井:私自身は、「ろう者」として考えることは多いのですが、「ろう女性」としての悩みはさほどではなく、結婚や出産というライフイベントを経験してから考え始める人が多いのかなと思います。ろう女性の中にも、独身、子どもがいないろう者、子どもがいるろう者と立場も様々なので、立場が違う、つまり接点がないと交流する機会もないと思いますし、お互いにどんなライフスタイルを送っているのかよくわからない面もあると思います。その点は聴こえる女性も同じなのではないかと思います。

管野:私も、働く立場上女性としての悩みもありますが、今はどちらかといえばろう者としての悩みの方が大きいです。同じ大学を卒業したろうの先輩や後輩に、ろう女性として考えた事があるかどうか聞いたところ、「ろう者」としての悩みはあり、それとは別に、「女性」としての悩みもあると話す人が多かったのですが、「ろう者」と「女性」の2つが重なる、つまり「ろう女性」としての認識は薄いように感じました。

また、周囲の友人から話を聞く限りでは、子を持つろう女性の場合、毎日家事や育児などに追われてばかりでゆっくりと色々なことを考える余裕がなく、たまに参加する女子会やママ会では、日頃の出来事や愚痴などを言い合ってすっきりするという感じで、これは女性特有の心理が関係しているのなと思います。個人的な意見ですが、女性の場合は、育児に関する悩みなどを他の人に聞いてもらって精神的にすっきりさせ、それぞれの課題についてどう解決していけばよいのかといったところまでは意識はしていないように思います。

長野:現在、私が主宰している女性グループでは、スタッフ間でLINEグループを作って情報交換をしています。仕事をもつ女性や育児中の母親が集まって企画をやるというのは時間的に制約があって中々難しいので、悩みや相談がある時はその解決方法についてラインを通して意見交換するだけでも、同じ立場同士でつながれているという安心感があります。


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