小学部は立川ろう学校、中学・高等部は筑波大学附属聾学校(現・筑波大学附属聴覚特別支援学校)に通う。鹿児島大学法文学部法学科に進学、同大学大学院を修了後、厚生労働省東京労働局に入局。都内の公共職業安定所に11年間勤務。その後休職して鹿児島大学大学院博士課程に進学、イギリスのセントラル・ランカシャー大学のろう・手話国際研究所に留学。帰国後、聴覚障害者支援を展開するNPO団体に転職し、仕事の傍ら、障害者の就労支援に関する研究に取り組んでいる。

Q1:ハローワークに勤めておられた時、どんな仕事を担当されていましたか?

 異動で3か所の公共職業安定所を経験しました。最初の2つの安定所では障害者担当窓口で障害者の就労支援を担当しました。具体的には、仕事を探している障害者のための職業紹介や職業訓練の案内などをしていました。すでに就労している障害者と面談し、職場に定着するための職場定着指導をしたり、職場での様々な問題や悩みなどの相談も受けたりしました。私が初めて配属された安定所は、東京の障害者就職面接会を主催するところでしたので、その運営も担当しました。

 自分はろう者で、手話もできるということもあり、全国からろう者のお客さまがたくさん相談に来ていました。1日で5人対応したこともあります。ろう者のお客さまの中には、かなり不満がたまっている人もいて、聞こえる方でしたら5分位で相談が終わるところですが、ろう者の方だと相談が長引くこともしばしばあり、3時間ほど面談したこともあります。それでも丁寧に話を聞きながら面談するようにしてきました。カウンセリングも兼ねているようなものでした。特に障害者窓口担当の場合は、就労に関することだけでなくお客さまの人生に深く関わるような相談も多いので、丁寧に対応してお客さまとの信頼関係を大切にしながら相談対応しなければなりませんでした。ですから、定期的にカウンセリングの研修も受けて、お客さまに対応できるように努めてきました。

 最後に勤めた安定所では主に統計調査関係の仕事を担当しました。職安に来たお客さまの数や紹介できた仕事の件数などの統計を取っていました。総務月報、年報を作る仕事もやりました。厚生労働省では、障害者の状況を把握するために5年に1回障害者雇用実態調査をすることになっています。その調査を実際にやるのは全国の公共職業安定所ですので、その調査業務も担当しました。このように裏方の仕事が中心でしたが、そこではろう者に対して専門的に対応できる職員が少ないこともあり、助っ人として急遽窓口での面談を依頼されたこともありました。さきほども話しましたが、安定所にいたときは全国からろう者がたくさん相談に来ていました。地元の安定所の対応に満足できていなかったということなんですね。わざわざ北海道や沖縄から東京まで相談にきたというケースもありました。私としては当事者としてお役に立てるということで嬉しいと思う反面、この状態のままで良いのだろうかと複雑な心境でした。本来ならば、どこの地域でも同じように満足していただけるようなサービスを提供できるようにすることが大切だと思っていましたので、そういった部分では心苦しさを感じていました。

Q2:聴覚障害者の就労相談に携わっておられたそうですが、聴覚障害者の就労に関する課題というとどんなことがあげられますか?

 一般的には、障害者雇用の問題は当事者本人の努力が足りないからという見方をされることが多いと思います。しかし、当事者だけでは解決できるような問題ではないと思います。私としましては、当事者本人はもちろん、会社そして行政それぞれに課題があると思います。

 まず、ろう者の場合は、日本の会社の特徴を十分に把握できていない傾向があります。ですから会社に入った後に、問題が起きたときにうまく対応できないわけです。会社に入る前に、どのような問題がおきるのか把握したうえで、その対応スキルを身につける必要があります。でも、それは本人だけの努力では難しいです。この点については指導する側、つまり会社や行政のサポートも必要です。本人が会社に入った後、問題が起きるとすぐに自分には解決できないと諦めて、辞めてしまったり、会社を休んでしまったりするケースも多いです。忍耐力、メンタル面での強さもある程度必要かなと思います。ただし、我慢の程度にも限界があります。我慢しすぎると精神的な問題もおこりやすくなってしまいます。本人も自分の限界をきちんと把握して、職場で問題に直面した時にストレスを上手く発散する方法を身につけたり、精神的に問題が起きたときに自分で判断して病院の診療を受けたりなど、そういった対処方法も必要になるのかなと思っています。

 次に日本の会社の場合は、障害者を大きな可能性を持つ存在として受け止められる所がまだ少ないように思います。初めから障害者はこの仕事しかできないと決めつけてしまうところが多いのではないかということです。私が安定所で仕事を紹介していた時に、いつも「聴覚障害者にはこの仕事は難しいと思う。」とかで紹介を断られることも多かったです。そういう意味では、障害者の仕事能力に対する低い見方とか、こういう仕事しかできないと決めつけてしまっている風潮を取り払う必要があると思っています。

 最後に行政ですが、労働行政の障害者雇用に対する考え方は、とにかく今の障害者雇用促進法で定められている雇用率を満たせるようにすることを重視する傾向が強いように感じています。障害者が就職した後の働きやすさやキャリアアップのしやすさなどの環境面の整備については、まだまだ努力の余地があるように思います。数字的な面の改善だけではなくて、質的な面での改善も必要という意識を高めるようにしなければならないと考えています。なぜならば、仕事を紹介して就職が決まったとしても働きにくい状況であれば、「もういい。限界だ。」と辞めて安定所に戻ってきて、また別の仕事を紹介するということの繰り返しが起きてしまうからです。まさに、これは悪循環です。そうではなくて、1度就職が決まったら、そこでずっと働き続けられるような支援、具体的に言えば職場の環境改善、障害者本人が本当に必要としている支援を受けられるような環境づくりに労働行政は積極的に取り組んでいく必要があると思います。

 教育現場でも、先生方は昔から「職場適応が大切。職場の状況に合わせるように。」と助言する傾向があるように見受けられます。ですから、ろう者は周囲に合わせるように頑張るのですが、頑張りすぎるあまり過剰適応がおきてしまうわけです。それが原因で、精神的にも身体的にも病んでしまう人が増えるわけです。安定所に相談に来ていた人たちは、会社で職場に適応しようと頑張った挙句、精神的に病んでしまう人が多かったです。安定所では、求人を紹介する時には、就職後安定して勤務できることが条件になっています。仕事をやめて他の環境のいい会社に変わりたいと相談に来られても、精神的な面で就労上の重い支障があって病院に通院されている場合は、安定所としては医師の許可がなければ紹介できないこともあります。そこで、「申し訳ありませんが、医師の許可がおりるまでは紹介を見合わせることになっております。」と伝えますと、「何のためにここに相談に来たんだ。どうしてだ。」と怒鳴られてしまう。本当は紹介したいのに紹介できないということで非常に苦しい思いをしたこともあります。

Q3:現在のお仕事(NPOデフNetworkかごしま)に転職されたきっかけは何でしょうか。

 そもそも、今の職場であるNPOデフNetworkかごしまの前身、デフスクールを立ち上げたのは今のNPOの理事長と私と私の妻、そして通訳者の4人です。私が大学院にいた時、ろう学校の近くにデフスクールという塾を立ちあげたのです。ろうの子どもが手話で勉強できるように、ということでデフスクールを作りました。その後、東京へ就職するためにいったん離れたのですが、一昨年、イギリスに留学する前に、今のNPOの理事長から「ここに戻らないか?」と誘われたのがきっかけで、いろいろ考えた末にイギリス留学を終えて帰国した後、転職しました。

Q4:耳が聞こえないことについて周囲にどう説明されていましたか?

 実は、私は職場でわざわざ「自分は聞こえないので筆談お願いします」と説明した経験はありません。普通、自分が職場に入る時、「自分はろうです。必要な配慮はこれこれです。」といったように話すかもしれませんが、自分としてはこのように言うことは不自然だと感じていました。入っていきなり配慮をお願いするのは聞こえる人の側としても違和感を持ってしまうかなと。ですから入社後は、まず、自分がどういう人間であるかを知ってもらうように努めました。最初に配属された安定所では、1階の職員用の通用口のすぐそばに自分の部門があり、朝一番に職場に入るようにしていました。なぜかと言いますと、職員はみんな通用口から入ってきます。つまり自分のいる部門のそばを通ってくるわけです。そのタイミングを狙って職員全員に、自分から「おはようございます」と笑顔を交えてなるべく明るく、発声しながら挨拶し続けてきました。自分の声は不明瞭でしたから、声をかけられた職員は、初めは驚いた顔をしていました。そのうち、「ああ、岩山君か。」と顔を覚えてくれるようになりました。時間が経つうちに職員全員と顔なじみになりました。そのおかげで、部門外で打ち合わせがあって出向いた時は、「ああ、君か。いつも朝早く来ているね。」と気軽に話し合えるようになりました。そういう会話の中で「聞こえないので…」という感じで筆談をお願いしたりするといったふうに、自然にやりとりしていくようにました。

Q5:働く上で工夫して来られたことがありましたら教えてください。

 職場での初めての研修で手話通訳はついていませんでした。職安では3か月に1回くらい、サービス向上のための研修があるのですが、そこでも手話通訳はついていませんでした。2回目の研修でも相変わらず手話通訳者はいませんでした。私は、前もって研修に参加する時は手話通訳の手配をお願いしたいということは伝えていましたが、結局手話通訳がつくことはありませんでした。2回目の時も手話通訳者がいなくて講師の言っていることが全然わかりませんでしたので、さすがにこのような状況が今後も続くのはまずいのではないかと思いました。

 そこで、研修で配布されたアンケートに次のようなことを書きました。「自分はろう者です。今回の研修に参加しましたが、手話通訳がついていなかったために、研修内容を把握することができませんでした。これでは、お客さまサービス向上という研修の目的を達成することができません。もし私に対して手話通訳をつけていただければ、研修内容をもとにスキルを身につけることができるようになり、結果的には安定所全体のお客さまサービス向上につながります。」と。つまり、これは私だけのメリットだけでなく、安定所全体に対するメリットにもつながるということをアピールしたわけです。アンケートの表面だけでは足りず、裏面にも書いて出しました。その後に東京労働局の研修担当者から呼び出されて、具体的に話を聞かせてほしいと言われましたので詳しくお話ししました。担当者から、「アンケートを読ませてもらいました。これを労働局の幹部たちにコピーして見せたい。」と言われましたので、「よろしくお願いします!」と頼みました。コピーが幹部会議で配られて検討された結果、その後の出張や研修に手話通訳がつくようになりました。

 職場で手話通訳をつけるための交渉の仕方として、相談を受けた経験からすると、ろう者の中には、「情報が少なくてわからないから手話通訳をつけてほしい」といったような一方的な要求をする方が多いように思います。そうではなくて、当事者にもメリットはあるけれど、会社全体にとってもメリットがあるというふうに示せば、相手も「なるほど。」と反応してくれるものです。会社というのは、個人のメリットだけではなかなか動きません。会社全体にメリットあるとわかれば動きます。そこを考えながらアンケートに書きました。それでうまくいったと思っています。

Q6:他に工夫された点はありますか?

 ろう者が仕事をする上で、一番問題になるのは情報をどうやって獲得するかということだと思います。聞こえる人の場合は、「耳学問」を通して仕事に関するスキルを身につけていきます。聞こえる同期は先輩、上司などの仕事に関するやりとりの内容を聞きながら、「ああ、こういうふうに対応すればいいんだな」とか、「あの障害のあるお客さまの特徴は何々。」というような情報をキャッチすることができます。そうすることで、お客さまへの対処方法を学んでいきます。

 そういうことが難しい自分としては、そこをどうやってカバーしていくか常に考えていたのですが、あるひとつの方法を思いつきました。朝一番に来ていた時、周囲にアピールするために、毎朝職員全員の机を拭くようにしていました。他の職員からは、「いつも朝早くから拭いてくれるね。」とお礼を言ってくれました。実はほかにもっと重要な目的があったのです。今は個人情報保護の関係で厳しくなり、ほとんど見られなくなりましたが、昔は、お客さまとの相談が終わった後にその方の記録ファイルを机の脇にそのまま置いておいて、すべての相談が終わった後にファイルに書き込んだり、または翌朝にお客さまが来る前に書いたりしていましたので、いつも机の両脇に書類が積み上げられている状態だったんですね。そこで、私は机を拭いて回りながら、周りから怪しまれないように、そのファイルの中身をさりげなく見ていたわけです。実際には、深い内容まで知るには時間が足りなくて読みきれませんでしたけど、書類の内容から他の職員がどんな仕事をしているのかといったことは把握することができました。その職員が忙しそうな時、「手伝いましょうか?」と声をかけてみると、「自分の仕事内容をよく知っているな。じゃあ、この仕事をあげるよ。」と仕事を回してくれたこともありました。このような方法で自分の仕事を増やしていきました。相談を受けてきた中で、「自分の仕事がない。」「仕事をもらえない。」という不満もたくさん聞いてきましたが、仕事は自分から取りに行くものだと思います。そのおかげで、2年目からは面接会の運営も任せてもらえるようになりました。まあ、そういう厚かましさとか言いますか、貪欲さとか言いますか…。色々な手段を使って仕事をとっていく知恵も必要だと思います。とにかくあの時は必死だったと自分でも思いますね。

Q7:どうして早い時期に職場の情報を獲得していくことの重要性に気づけたのでしょうか。

 家が職場から遠くて、通勤に1時間以上かかりました。その通勤時間を利用して、ビジネス関係の本を片っ端から買っては、電車内で読みあさっていました。本には、自分から情報を得ることが必要だと書かれていて、ろう者、聞こえる人関係なく、情報を獲得していくことが大切だと気付いたのです。ろう者であれば、なおさら情報を得ることが難しい。ならば、自分から聞こえる人以上に情報を獲得していくことが必要だと思ったのです。

Q8:今後の目標は何でしょうか。

 ろうの子どもたちに対して、「ろう者でも大丈夫。会社に入っても社長や管理職を目指せる。ビジネスマンだけじゃなくて研究者、弁護士、医者なんでもいい。どんな目標でもいいから目指してきちんと頑張ってほしい。」と言えるような社会を目指していきたいと思っています。自分が子どもの時はろう者が就ける仕事が限られていました。ですから、ろうの子どもたちがろう者であっても自信をもって堂々と生きていける社会を作っていきたい。そのためには、当事者の研究者が様々な問題を浮かび上がらせて社会に発信していくためにも、分析して得られるデータを蓄積していく必要があると思います。

(インタビュアー:小林洋子)

◆ 代表からのコメント

 今回は目から鱗が落ちるようなエピソードをいくつかお話し頂きました。そのようなろう者個人の経験や知識がひとつひとつ集まって蓄積されたものが「集合知の見える化」となり、初めてろう者コミュニティが周りと次の世代に伝える財産となるのではないかと思います。今回岩山さんからいただいたお話の中にキャリアアップにつながるヒントが隠されていると思います。それらをピックアップしてどのように整理していくかが今後の課題になるのではないでしょうか。

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