Q:新聞社で働くきっかけとなった出来事は何でしょうか?
大学から続けて大学院に入った理由は、高校の時からずっと大学の先生になりたいなと思っていたので、研究を続けるためでした。
両親が教員を務めていることや、小中高大学と先生に囲まれて過ごしていたので、自然と自分は先生になるんだと思っていました。それまで、先生以外に、働いている社会人の様子を見る機会が無くて。大学院生時代に出会った難聴の長嶋愛さんがNHKでディレクターとして働いている様子を生で見させていただき、きこえない人が働くとこういう感じなんだってかっこいいと思って、憧れて(笑)。
そこで、自分の仕事について考えたときに、好きなことは新聞を読むことだと思いつきました。小さいときに、朝日小学生新聞を購読していて、この時から新聞に興味があったので、新聞社で働いてみようと思いました。中学生の時は、字幕がついているテレビ番組はものすごく少なく、ドラマの内容がほとんどわからなかったです。なので、学校で友達と話すときのネタに使っていました。
新聞社での仕事内容について話を聞きたいと思っていたところ、たまたま読売新聞社で働いている人が近くにいたことを思い出して連絡を取りました。すると、その女性が自分の職場で働いているろう者や難聴者を集めてみるよと言ってくれて、その集まりに参加しました。デザインの他、校閲、事務とかの仕事についても教えてもらい、中でも自分が一番興味を持ったのが、新聞の見出しをつける仕事でした。もともと私は文字、活字が好きだったので、その仕事をやってみたいという思いが強くなりました。
Q:現在の職場(産経新聞社)に決めた動機は何でしょうか?
大学では聴覚障害学について学んでいたから専門は全く違うのだけど、教育実習などで実習をしたときに、「きこえない子は最終的には何を目指すのか?」「何を教えるのか?」「きこえない子が社会に出たときに会社から求められる力はなにか?」を考えたときに、まずは自分が会社に入って経験してみようという気持ちから就活を始めました。当初は読売新聞社を考えていたのだけど、その時は春の募集は終わってしまっていて、秋の募集の時に挑戦してみようと思って、その間に何社か受けてみようと、産経新聞社を受けたら、早くも4月末には内定をもらい、そこで入社を決めました。
一番最初に内定をもらったから入ったというのが大きいですが、筆記試験や面接の時の対応に良い印象を持ったのも入社を決めた理由の1つですね。筆記試験のあと、グループディスカッションの試験があったんです。当日知ってびっくり仰天しました。なんとか終えることができましたが、相手の意見を聞いて発言するのはきこえないと難しいです。自分の力を発揮できない試験もあるかもしれない、前もって、試験内容を教えて欲しい、方法を話し合いたいというメールをしたら、丁寧に対応してくれて。次の面接は面接官が3人います、その3人との距離はどのぐらいあってという、配置について細かく教えてくれて、あなたの場合はこの方法でやりますと。次の適性検査の時は、始めと終わりのモニターからの合図が分からないので、試験官が持っている紙を上げるという方法でどうかと提案していただき、相談した結果、その方法でお願いしました。私に合わせたやり方をやってくれて、いい印象を持ち、一緒に働けるといいなと思いました。
Q:具体的にはどのようなお仕事をされていますか?
最初は見出しをつける仕事がしたいなと思って、新聞系列の中の別の新聞を作るところに入りました。もちろん希望していた見出しを付ける仕事をやらせてもらって楽しいと思っていたのですが、途中からデザインの仕事を勉強して欲しいと言われ、1週間のうち半分は見出しを付ける仕事、残り半分はデザインの勉強をしていました。デザインの経験が本当に無さすぎて、周りの人も(窪田さんがデザインの勉強をしていることに)疑問を持っていました。紙面の中にある図を作成する仕事でイラストレーターというソフトを使うのですが、今までは研究でワード、エクセルでグラフを作るだけだったので、色の組み合わせ方、5色の組み合わせについても知識がなかったので、一から全部教えてもらいました。仕事の流れは、まず、取材をした人がこういう図を作って欲しいと紙に書いて出してくれます。上司がそれを見て内容によって担当を分けます。受け取った人は、紙に書いてある指示内容を見て、そのリクエストに合わせて作ります。内容が分からないとか、作れないということがあれば、そこに書いてある番号に電話をして相談します。私の場合は、電話はできないから、同僚に、こういう内容を電話して伝えて欲しいとお願いして電話をしてもらうという方法でやっています。今は本社勤務ではなく、テレワーク(在宅勤務)なので、同僚に連絡するのはメールになりました。
Q:どのぐらい仕事の依頼があるのですか?
毎日です。うちの会社は、まずテレワークを取り入れたのは初めてのことなので、ルールがまだ無いです。暇になることもあります。一人寂しい時は、この紙を持ってカフェに行ってもいいよと言われています。ずっと家にいる必要はなくて、できる範囲で作ってくれれば良いよという考え方ですね。私は、それだと暇だから、仕事をたくさんもらいたいのだけど、1件終われば、また新しい内容をもらっての繰り返しの方法かな。特に年末は忙しくて、たくさん仕事をもらって、たくさん処理して渡すという方法です。
残念なのは、例えば地震が起きて現場が忙しいということは会社にいれば分かるけど、家にいると分からないことです。社内は地震のニュースで忙しいから、それ以外の仕事、まだ先の記事を送ってくれることもあります。会社と自分の温度差はすごく感じます。
Q:担当する紙面は決まっていますか?
基本的にほとんどの紙面を任されます。つまり、全部のニュースに詳しくないとポイントが掴めないです。地図や図表、グラフを担当することが多いです。また、紙面はカラーだけでなく白黒もあるので、見やすい工夫をします。新聞のデザインってあまりピンとこないかもしれないけど、意外とイラストのデザインは工夫して作られています。
Q:その知識を身につけるために努力をしていることはありますか?
内定をいただいた時に、他新聞社勤務で同じ仕事をしている人からアドバイスをもらいました。色々な芸術に触れることが大事ということでした。本とか新聞を読むことも大事なのだけど、絵をみるとか、モノをみるとか色々なものを見て美意識を持つことが大事だと。記事も最初はどのように枠を作るかは決まっていない状態です。紙面の中での収まり方についても決めて、その中でどこに見出しを付けるか、色をどのように選ぶかというのはその人が持つセンスの問題に関わってきます。だから、仕事に役に立てるためには、美術館に行く、博物館に行く、本を読むことが大事と言われて納得しました。仕事が午後からだったので、午前中に美術館に行ってみたり、映画をみたり、そのあと感想を話し合うなど有意義に過ごしていました。
Q:結婚して変わったこと(生活面、仕事面)は何でしょうか?
〜引っ越しから在宅勤務へ〜
生活環境が大きく変わりました。福島の学校の先生になっていた夫と結婚し、東京の会社を辞めて福島で新しい仕事を探そうと思っていたところ、会社からテレワーク(在宅勤務)の提案をもらいました。夫は、私が仕事をしてもしなくてもどっちでも良いと思っていたみたいだけど、仕事が無いと寂しいよね?と聞かれて、そうだね、寂しいだろうなと思っていました。引っ越した後も、実際友達がいなくて、東京の友達に会いに行ったりしていました。夫と繋がりのある友達を紹介してもらって、その人を通して県聴覚障害者協会とか、郡山市聴覚障害者協会の関連イベントが色々あることが分かって、そこに少しずつ顔を出して、歳の近い知り合いが増えていきました。
しかし、仕事をする時は常に一人で、簡単に相談できる人が周りにいないので、とても寂しいです。以前は表現方法、色の使い方が変わったなどの変更を知るために、月に2回は会社に行っていました。直接会って相談したほうがいい場合もあったので、人に会って情報交換をして帰ってくるということをやっていました。基本はずっとメールです。また、上司が変わった時に、不安になることもあります。私の今までやってきた方法がダメと言われるかもしれないと。
また、これまで、私は会社に入るまで手話通訳の派遣をお願いしたことが無かったのです。大学生の時は学内でお願いはできたけど、学外で手話通訳派遣のお願いができることを知らなくて、就活の時も依頼をしませんでした。しかし、内定者研修の時と新人研修、社内研修では通訳を依頼したいなと思い、人事部や上司は理解があったので、付けていただけました。上司が変わることで障がい理解にも影響があるのではないかと不安になりますね。会議の時は、通訳は付けていないのですが、終わった後に、シフト制でいない人のためにメールで回しているので、問題なく情報の把握はできています。
しかし、ろう者にとって難しいのは、人の名前と顔がなかなか一致しないことです。きこえる人は、周りの人が誰かを呼んだ時の名前が自然と耳に入ってくるから直接の交流がなくても大概人の顔と名前はすぐに覚えられます。ろう者の場合、自分とよく関わりのある人は、覚えられるんだけど、たまにしか会わない人は覚えられませんよね。在宅勤務だと尚更久しぶりに会社に行ってもまた次に行くまで日が空いてしまうので、人の名前と顔がなかなか覚えられません。
一方で、在宅勤務に切り替わってからは、通勤のための時間が取られることも無いですし、服もメイクも自由になりました(笑)。ストレスがほとんど無いです。通常は電車で出勤ラッシュに揉まれる、雨の日は傘をさすけど服が濡れる、また、ろう者でいえば人間関係、人が喋っているのが気になって仕方がないというストレスがあると思うのですが、それが一切無いのです。そういう面では仕事の環境はとても良いです。
〜サークル「もいもい」の設立〜
手話サークルにたまたま、きこえない子どもを持つ女性がいて、「きこえない子どものための養育センターに通っているが、お母さん同士の繋がりが無い」という話を聞いて、ならば、きこえない子を育てている親が集まれるサークルを立ち上げようということになり、3人で立ち上げました。3人ともきこえず、きこえる子がいたり、きこえない子がいたり。その運営がとても楽しいのです(笑)。そのお陰で、お母さん同士の繋がりができました。そのサークルの目的は、きこえない子どもが社会で生きる力を身に付けることにありましたが、親御さんへの応援という意味も含めて、毎月1回活動をしています。主な活動内容は、ゲストを招いて話を聴いて勉強をする、母親だけで交流会をする、家族同士の交流のためのキャンプやBBQをする等です。活動し始めてから1年が経ちましたが、現在では家族同士の繋がり、父親同士の繋がりもできました。
ろう者の中には、家に引きこもっている人、仕事を辞めてしまった人、家と会社の往復だけでつまらないと言う人がいると聞き、一人一人がもっと人生を豊かに生きて欲しいという思いもありました。夫が福島県内の聾学校卒業生のためのバドミントンクラブを立ち上げたこともあり、福島のろう者コミュニティがより盛り上がれば良いなと思ったのです。少しでも手話に対する抵抗感がなく、手話は便利なものだと思ってもらえたらいいなと。親と子のコミュニケーションがスムーズにできることが一番だと思っているので、口話でも良いですが、いつか子どもが手話を覚えたいとなった時に手話は良いよって言える親であって欲しいなと思います。
Q:1人目の子育ての時に仕事との両立で大変だったことは何でしょうか?また、その両立で得られたこと、良かったなと思うことなどありましたら、教えてください。
一人目が生まれて4ヶ月で仕事に復帰しました。これまで、大変というのはあまり無いのですが、強いて言えば、保育園に行きたくないと言って休んだ日に、仕事をしていた時にパソコンを壊されたということはありました。子どもが保育園に行かないならば、子どもに待ってもらって仕事の時間をずらして、仕事が終わったら遊んで、遊び終わってから仕事ができるという感じです。週に1回、夫の実家に仕事を持って行き、夫の母にもお世話になっています。孫を会わせることもでき、さらには私が仕事をする様子も見てもらっていて理解していただいています。東京だと仕事を持つ人が多く、誰かに息子の面倒を見ることをお願いすることは容易ではないので、今の仕事で良かったなって思います。仕事以外では、もいもいの活動、盲ろうの介助通訳、郡山市の市民を対象とした手話講座とか、専門学校の手話指導なども行っていて、会社の理解が得られたことで様々な活動を続けられています。
また、夫にも結構助けてもらっています。夫は一人っ子なので、子どものお世話をしたことがないはずなのに、色々と家のことも含めてやってくれているので、いつもありがとうという気持ちです。1人目の時は両手で抱っこしていて手話ができないから、口話で何とか喋って、分かる?分からない!ってやり取りしていたけど、今は落ち着きました。今の私の心配事といえば何だろう・・・遊び方が分からないことかな(笑)。地域の子どもが集まるコミュニティセンターに行っても、お母さん同士が話していることは分からないし、音楽も分からないし、うーん…ってなって、家に籠って、何をしてあげると良いかな、絵本でも見せれば良いかなぁとか試行錯誤しました。保育園に預けた後は遊び方とか教えてもらいました。息子は年の割には言葉を話すのが早い方らしい。手話と声とでのコミュニケーションには全く問題が無くて、今の悩み事といえば、身長が低いことかなぁ。そうやって子育てで悩める余裕があって、時間に追われていない上に、給料もいただいているので、本当にありがたや〜って感じです(笑)。
Q:会社は障がい者と女性の支援を行なっていますか?それはどのような内容ですか?
障がい者採用に対して積極的かどうかは分からないです。私がエントリーした時は、一般採用の募集要項に「障害者手帳をお持ちの方は〜」という表記がありました。なので、障害者枠というのは無いのかなと思います。聴覚障害者はいますか?と聞いたら、いますって言われただけで、どの部署にいるのか詳しくは教えてもらえませんでした。たまたまうちの会社に聾学校の生徒が見学に来た時があって、引率していた先生が私の友達でした。自分が受け持つクラスの子どもたちに社会科見学の一環でろう者が働いているところを見せたいということで、案内している時に、企画部の人が食堂できこえない子どもを見て、きこえにくい人が使うスピーカーを持ってきてくれたことがありました。私はその際に会社に用意があることを初めて知り、さらには、その部署から社内にろう者が何人かいることを教えてもらい、3人紹介してもらいました。必要に応じて手話通訳は準備してくれますが、きこえないからと特別扱いをしてくれるわけではありません。人に言われてやるのではなくて、自ら動いてやるということを重要視しているのかもしれません。
近頃は、女性記者、社内で働く女性も増えてきたためか、女性だけで作る紙面があって、その紙面に私のことも載せてもらいました。
https://www.sankei.com/life/news/141231/lif1412310002-n1.html
Q:テレワーク(在宅勤務)を始めるときに大変だったことは何でしょうか?新しいことを始める時は不安があったと思うのですが、どのようにして乗り越えましたか?
前例が無い中で始めたので、不安も勿論ありました。会社にいるときは作り方に困った時に簡単に相談できたけど、今はそうじゃない。電話でならすぐに聞けるかもしれないけど、メールだとしにくい。例えば、図をもらった時に、それについて改めて文面で聞くとなると難しいし、具体的に相談できる人がいないとなると自分で解決しなければならなくなります。一方的に思い込んで一人走ってみたら、そうじゃないって言われる時もあります。パソコンを通して見たときと実際に新聞に載ったときとでは色がちょっと違っている時もあるので、そんな時は直接会社に行って確認するなど、その時に応じて対応を変えるなどの工夫をすることで乗り越えてきました。
Q:今までの話を聞くと、テレワーク(在宅勤務)の印象が良いですが、一方でデメリットがもしあれば教えて下さい。
キャリアアップができないことかな。誰かに教えてもらうとか、大きいことはできないです。切り替わる前の東京にいたときのレベルそのままって感じです。そのように、現状維持で60歳の定年まで続くから、男性にとってはもの足りないかもしれないです。女性はその時その時で自分の子どもを育てたりと人生でキャリアが変わるからそれに合わせて仕事ができるかもしれないけど、もっと稼ぎたい、もっと大きいことがやりたい、昇進を狙っている場合には、合わない仕事かなぁと思います。私は今のままが合っています。何が趣味かも分からなくなるくらい、いろいろなことを楽しみながらできたらと思っています。
私の場合は、正社員として入って、給料はほとんどそのままなんだけど、異動がないという点では他の社員よりも恵まれていると思います。将来的には、テレワーク(在宅勤務)をするという前提での採用が増えるかもしれません。会社に行くのは月に1回で、それ以外はほとんど家にいるので、会社から信用が得られないと続けられない仕事だと思います。
ろう者はテレワークという方法の方が働きやすいかもしれない。初めは、会社で働いて会社の部署の人たちと関係を作ってからテレワークに移行したから、会社から離れても安心できました。入社した時からテレワークだと状況はまた違うかもしれないです。
Q:これまでの仕事を振り返って、大学時代に学んだことで役に立ったこと、またやっておけば良かったと思うことがあれば教えて下さい。
学生時代にやらなくて後悔していることは、学外での手話通訳などの情報保障の申し込み方がわからなかったことです。自分が社会人になった時に地域にどうやって申請するのか、会社に申請するという方法があることも知りませんでした。そういうことは学生のうちに知った方が自分のためにもなります。郡山市には専任の手話通訳士が3人いて、積極的に手話通訳派遣依頼をして欲しいと呼びかけを行っています。私も積極的に依頼をするようになり、妊娠した時は母親学級の説明に行くのに手話通訳を依頼しました。私が立ち上げた手話サークルには基本的にスタッフのろうが3人と参加者数名という感じです。最初は、参加者が3人と十分に話ができたけど、最近は参加者が7人とかに増えてきていて、ついていけなくなったので、サークルの活動の中にも手話通訳が欲しいと思い、お願いをしているところです。ゲスト講師に県外のろうの人に来てもらって、郡山市にはあまりいない若い人の手話なので、その読み取り通訳ができる人を増やしていきたいなと思っています。
手話通訳派遣依頼についてもし、学生の時に知っていたら、就活のグループディスカッションの時にもっと楽しかったかなと、ちょっと後悔…。無くても結果的に受かったから、よかったけど、もし、あの場に通訳者を呼んでいたら、みんなの意見とか発言の仕方とか、考え方を知る良い機会だったはずです。その機会を逃したという面では残念だなと思います。
逆に良かったのは、自分の障害を説明する場が色々なところにあったということと、情報保障が受けられて、この情報が自分に足りないから、それを集めるために使うのだということを経験できたから、それを学生時代の6年間に知ることができたのは大きいです。最初大学に入ったときは手話も分からないから、パソコンテイク、ノートテイクを使って、徐々に手話通訳も使えるようになって、道具が要らない楽な方法であることがわかって、良かったなって思いますね。実際、仕事を始めると周りの人は手話が使えないけども、どういう方法で支援してもらえるか考えることができます。例えば、1対1で話をする時は、きこえる人たちは仕事をしながら顔を見ずに話すことが殆どですが、仕事を教えてくださった先輩とマンツーマンで、私に大きなノートを用意してくださって、説明することをそこに書いていってねと。話の内容を書いて確認をしたら、違うと直してくれて、OK合っているよって言ってくれてとても助かりました。あとは、部署では毎日席が替わるので、その度に周りに座っている人の名前を教えてくれて、とても助かっています。
Q:大学では障害を学びたくて入ったのですか?
そう、学びたくて入った。高校までは全く障害に関する知識がありませんでした。障害者手帳の意味も分からなかったし。そもそも大学でこういう勉強をしたいと思ったきっかけは、高校2年生の時に参加した日本とドイツの聴覚障害者交流事業です。ドイツに行く前に、国内で研修に参加するろう者が8人ぐらい集まりました。みんな手話。私だけ声。遠くから見ても手話はわかるって感動したんです。この時はどうして感動したのかしばらく疑問に思ってわかったのは、今までずっときこえる人と一緒にいて、聞き取ろうと頑張って聞いたけど、手話はそういう努力は要らない、見て、手話表現が何かってわかれば、どこにいても分かるんだなってすごく納得しました。私、今まで自分は聞こえないから聞こえないことはよく知っていると思っていたけど、実は全く知らないんだなって思って、それなら大学に入って勉強をしようと思ったのがきっかけです。筑波大学に入って、聴覚障害について勉強をしましたが、そこでの視点は聴覚障害児がきこえる子と比較してどのくらい遅れているかといったものでした。その視点に疑問を持っていた頃に、たまたま筑波大学に見学に来ていたNHKで働く長嶋愛さんと出会って、会社で働いてみたい!と思うようになり、今に至ります。
Q:今後の目標は何ですか?
福島のきこえない人やきこえない子どもがもっと楽しく生活ができたら良いなと思う。きこえる人たちの手話を覚える機会は増えて来ているけど、きこえない子ども達の手話を覚える環境が少ないんだよね。
Q:仕事の面ではいかがですか?
仕事はプレッシャーもあるけれど、語弊を恐れずに言えば、趣味の一部になりつつある(笑)。私が12月に仕事に復帰することで、2人目のこの子だけ保育園に預けられるかどうかで、生活はそんなに変わらない。仕事を楽しくやることかな。自分は自分ですごいゆったりしているから、夫がいてもゆったりできているし、ピリピリすることもあまり無くて、長い目で見ると、イラっとしない生活ができている。将来の目標とはちょっと違うけど、周りとの関わりもあって今の生活が充実しているから、きこえない子ども達にとっても充実した生活が送れるようにして欲しいなと思う。そのために自分ができることは、「もいもい」を通してきこえない子ども同士の交流を増やすこと、親御さんが自分だけじゃなくてみんなで子育てしていくんだと安心してもらえる場をつくることかな。
Q:最後に学生に向けてメッセージをお願いします!
仕事だけが人生ではないということ。周囲との関わりだったり、社内で配属が変わったりと、自分の思い通りにはならないこともあるかもしれないけど、楽しくできることは会社の他にもたくさんある!うん、仕事だけが人生ではないと思う。仕事してお給料をもらって、そのお給料で趣味を楽しむ。趣味を楽しむために仕事をする人もいるし、仕事に対する考え方も将来的には変わってくるし、変わってもいいし、仕事を自分の専門にしてもいいし、仕事とは別に自分の得意分野を生かせることを見つけてもいいし。仕事が100%ではない。何事も経験してみないとわからないし、何事も経験だよね!普段から学割や障害者手帳割引を使って、映画館や美術館に足を運ぶなど色々見て聞いて、五感をフル稼働して社会を感じて欲しいなと思います。
※在宅勤務はテスト運用中であり、正式な制度ではありません。
インタビュアー:門脇 翠(ろう者学プロジェクトスタッフ)
取材日:2018年9月