「今までの生い立ちや経歴について」〜ろう女性による座談会を通して〜(2/5)

― 様々な立場や背景を持つ方にお集まりいただきました。それぞれ生い立ちや職歴・活動歴について、自己紹介をお願いします。

岩田:両親もろう者で、聾学校で育ってきましたので、ろうの世界で育ったと言ってもいいと思います。仕事でもろうあ者相談員として、ろう者に接することが多く、ろう老人ホームで2年間施設長として勤めました。改めて振り返ってみますと「ろう」だけではなく「女性」であることの二重の差別を感じることが幾多ありました。現在は、熊谷市障害者相談支援センターの非常勤専門援助員や訪問相談もしています。他にも盲ろう通訳介助員をするなど、様々な活動をしております。

:私がろう教育を受けていた頃は口話教育のために手話が禁じられていた時代でしたが、当時通っていた足立ろう学校幼稚部はそれほど厳しくなく、のびのびと育った思い出があります。親の意向で小学校からインテグレーションを経験しましたが、周囲とのコミュニケーションが難しく、寂しい思いをしました。中学からは筑波大学附属ろう学校に通いました。大学生の時に世界ろう者会議が東京で開かれたのですが、来日していたギャローデット大学で初めてろうの学長になったキング・ジョーダン氏の「聞くこと以外は何でもできる」という言葉に感銘を受けました。大学院進学後、アメリカのバイリンガル教育のことを知り、日本でも手話による教育が必要だと考え、仲間たちに呼びかけてフリースクールを設立しました。保護者の方々も活動に関わるようになり、2008年に明晴学園が開校しました。2年前に校長になり、学校経営に努めています。家族は夫も娘も聴者です。

中野:生まれた時は聴者でした。家族や親せきにはろう者や難聴者がたくさんいます。母は難聴、父は聴者、弟も難聴です。私はずっと普通学校で育ってきましたので手話はあまり知りませんでした。大学に入って初めて榧さんに出会って、ろう者としての生き方や情報の取り方などゼロの状態から色々教えて頂きました。手話も覚えて、手話通訳をつけて講義を受けました。その後、大学院に進学し、今も研究を続けています。家族は夫婦二人で、夫は聴者で、同じくろう教育を研究しています。夫は理解があるので、よく支えてくれています。

唯藤:公的な立場としては、全日本ろうあ連盟女性部長を担当しております。子どもは3人おり、全員聴者で、下の子はもう30歳を過ぎています。学校は品川ろう学校を卒業し、高校は一般学校へ進学しました。高校卒業後は、本当はろう学校で教えるのが夢だったのですが、勉強してなかったので難しいと諦めました。その後、ずっとキーボード関係の仕事、今はなくなりましたが、キーパンチャーやワープロのオペレーターの仕事をしてきました。その後、子どもが大きくなったので、地元の世田谷区のろう協会の役員を始め、今に至っています。皆さんの色々な経験や知識をお聞きしながら、今後の女性部の活動に生かすことができればと思っています。

那須:私の両親はろう者です。親戚にもろう者がたくさんいます。父の兄弟4人のうちろう者が3人、母の兄弟8人のうちろう者が4人います。そのことで嫌な思いをしたこともありますが、ロールモデルに出会ったことで、自分がろう者であることに目覚めました。劇団を結成して9年間演劇活動をやっていましたが、結婚で退団しました。その後、2人のろう児が生まれました。今は、地元の葛飾区ろう協会の理事や相談員も務めています。そして2009年には、葛飾区デフママの会を立ち上げました。他には、NHK「みんなの手話」でアシスタントもしています。



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