5月12日(火)に第3回ろう者学ランチトークが行われました。
今回はジョンハン・ウーさん(愛称:マイケルさん)にお越し頂きました。講演テーマは「台湾での経験と日本研修の今まで」です。マイケルさんは台湾出身で、デフリンピックに出場した経験をお持ちです。現在はダスキン愛の輪基金主催のダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の第16期生として来日し、日本で研修を受けています。今回は、台湾での経験や日本での研修内容についてお話し頂きました。
おかげさまで、教職員・学生合わせて62名の参加がありました。
マイケルさんは台湾の台北で生まれ、6歳の時に難聴であることが判明し、口話訓練を受けて一般の学校で育ちました。家族や周囲とのコミュニケーション方法は主に口話で、当時、「自分は難聴だから聴者と同じだ。ろう者とは違う。」と、ろう者たちとの付き合いや手話の使用を拒んでいたといいます。
しかし、2009年に台北で行われたデフリンピックに選手として出場し、たくさんのろう者に出会ったのをきっかけに、ろう文化に触れるようになります。また、今回の日本研修で初めて手話を覚えたそうです。なんと、その覚えた手話で堂々と講演なさっていました。
大学時代、情報保障は整備されておらず、友人にノートを借りて独学で学びました。卒業後、事務の仕事に携わりましたが、同僚から補聴器をつけていれば、全部聞き取れるという誤解を受けたこともありました。
さらに様々なことに挑戦してみたいという思いから、ワーキングホリデーに申し込み、オーストラリアやアイルランドでいちごの収穫や調理など様々な仕事に就きました。これらの経験を経て、障害者のサポートやコミュニケーション保障について勉強したいという気持ちが芽生え、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業に応募し、現在に至ります。
来日後は日本語と日本手話を学び、NPO法人視聴覚二重障害者福祉センター「すまいる」で盲ろう者の触手話や指点字に触れたり、青森のろう家族にホームステイしたりなど様々な経験を積んでいます。また、同期のろう者ディナさんに出会い、海外の手話を見てショックを受けたといいます。
マイケルさんは、2009年の台北デフリンピックと2011年のろう者オリエンテーリング世界選手権に台湾代表として出場しました。オリエンテーリングとは地図とコンパスを持って山野の中を駆け回りながらチェックポイントをまわり、スタートからゴールまでの時間を競う競技です。そこで、海外のろう者と出会い、友人を得ました。当時は手話を知らなかったので、英語の筆談で会話を交わしたそうです。
このように、台北デフリンピックに参加してたくさんのろう者に出会ったこと、デフリンピックや国際大会を通して海外のろう者の友人ができたことで、以前は深く考えることはなかった、ろう者としての自分について考えるようになり、自分に変化が生じたといいます。
聴者の集団の中では相手の声が全部聞き取れないのに、ろう者集団の場合、全員の話す手話が視覚を通して読み取ることができ、手話は視覚的な言語であるとわかり、驚いたそうです。このように、ろう者の世界に触れ、難聴者ではなく、ろう者であるという自覚が芽生えていったと話します。しかし、「自分は聴者の中で育ったため、片方の文化だけ排除するのは難しい。聴者の文化とろう者の文化両方とも上手く吸収していきたい。」と話してくださいました。
台湾に帰ったら台湾の手話を学んで、ろう協会の活動に携わりたい、そしてアメリカ手話などの海外の手話も覚えて、国際大会に参加して情報を台湾に持ち帰りたいと今後の目標を話してくださいました。
積極的に様々な経験を積んでいきながら、ろう者としての自分を自覚するようになったという経緯の話がとても印象的でした。一般の学校で育ち、本学で初めてろう・難聴学生の集団の中で学ぶという在学生も多い中、マイケルさんの話に共感を覚えた学生もいたのではないでしょうか。今後、帰国された後、台湾の手話を習得してますますご活躍されることをお祈りしています。
参加してくださった皆さま、ありがとうございました!!