デフリンピック金メダリストインタビュー① 設楽明寿(本学大学院1年)

2017/09/06掲載

- PROFILE -
群馬県高崎市出身の23歳。小学校のときから陸上競技を始めて13年目。専門種目は100m、200m。今年の7月にトルコのサムスン市で開催されたデフリンピックでは、4×100mリレーに第3走者として出場し、日本男子短距離で初の金メダル獲得、日本ろう記録更新に貢献。

-まずは金メダル獲得おめでとうございます!大会を振り返ってみていかがですか?

 ありがとうございます。まだ実感が無いので何とも言えませんが(笑)、嬉しいです。しかし、世界新を出せなかったこと、自分がベストな状態ではなかったこと、個人種目に出られなかったことで、心残りのある大会でした。

-ベストな状態ではなかったとのことですが、どのような状態だったのでしょうか?

 リレーの準決勝の時に肉離れしてしまい、決勝では本来の力を発揮できませんでした。いつも僕が足を引っ張っていますね(笑)。他のメンバーにも故障がありましたが、それそれがベストを尽くした結果、獲得できた金メダルなので、記録よりも、強豪国がいる中、勝負に勝てたということが良かったです。

設楽選手

-今回の勝因を教えてください。また、デフリンピックに向けて取り組んだ内容やこれまでの練習についてもお聞かせください。

 メンバー同士勝ちたい気持ちが強かったことですね。デフリンピックまでに、4月から月に1回、6月からは2週間に1回とみんなで集まり、バトン練習をしてきました。お互いに気を遣わないで、気付いたこと、感じたことはすぐに言い合うという、これまでの中でベストなメンバーだったのではないかと思います。私自身、3月までウエイトトレーニングが多かったので、走れる状態まで身体が戻ってきていませんでした。しかし、そこで焦らずに、走るメニューを多く取り入れながら、徐々に身体を絞り、デフリンピックがあるからと気負わずに、集中していつも通りの練習をしてきたので、デフリンピックまでに100mの自己ベストを更新することができ、非常に良いコンディションで試合に臨めました。

-今回のデフリンピックを通して得られたものはありますか?

レース
写真提供:一般社団法人日本聴覚障害者陸上競技協会

 メンタルが強くなりました。怪我した状態で決勝を走るというのは、これまでに無い初めての経験だったので、自分はいざというときはやれるのだという新しい発見がありました。また、デフリンピックで個人種目に出て勝ちたいという気持ちがこれまでより強くなりました。来年は100mで10秒台を出し、茨城県選手権大会の出場権を獲得、2年後は本格的に、関東選手権、順調に行けば日本選手権大会を目指すという競技プランを立てています。デフリンピックに出るまでは、正直言うと、申し込んだ競技会(記録会)で記録を出して身体の状態を確認するくらいで、具体的な競技目標が無い状態でした。今回、デフリンピックを経験したことで、健聴者が出る大会への出場を目標としたい、個人種目で健聴者と互角に勝負できるような力をつけたいと思うようになりました。

-国内のデフスポーツの発展に必要なことは何でしょうか?また、パラスポーツよりも発展していないのは何故だと思いますか?

 日本社会は、障害者に対して、ハード面が良いのははっきり分かりますが、ソフト面がしっかりしていないように思うし、それに気付けない、実感できていない人が多いのではないかと思います。障害者に対して腫れ物に触るようなところがまだ残っているように感じます。何かのきっかけでそれが無くなれば、もっと興味を持ってもらえるようになると思いますし、改善されれば、デフスポーツの発展にも繋がってくると思います。
 パラスポーツとデフスポーツとでは、どちらが関わる健常者が多いかといえば、パラスポーツですよね。車椅子や義足、義肢などの競技用具を作る、補助するというサポート面では関わる人たちが多いですし、デフスポーツに比べたら、そのように関わる機会が多いです。デフスポーツの場合は、健常者との関わりは手話通訳くらいで、外部から関わってもらう機会が本当に少ないように感じます。そのような背景を踏まえると、発展に繋がりやすいのは、パラスポーツの方になりますね。まずは、デフスポーツでどうやって健聴者との関わりを増やしていくかが今後の大きな課題だと思います。
 また、手話ができないから関わることが難しいと考えるところが日本社会の悪い考え方だと思います。パラスポーツは、支援の幅が広いから自分に合った支援方法を選択できるけど、デフスポーツの場合は、手話だけだから手話を覚えないとサポートできないという考える人が多いようですが、そんなことはありません。筆談とか身ぶりを使ってコミュニケーションをとることもできますから、そのように別の方法で何か支援できないかと考えれば、関わる方法はいくらでもあります。設楽選手私が経験したブルガリアやトルコなどの他国では、一般の方に話しかけられることが度々ありました。障害者ではなく、一人のアスリート、人間として見てくれているような気がしました。

-今後の活動、競技の目標について教えてください。

 今はまだはっきりとは言えませんが、まずは、自分が今やっている研究と陸上の2つを両立できるようにしたいので、それに向けて少しずつ始動したところです。プランとしては、3年後の世界大会を目指すというのと、4年後のデフリンピックでの個人種目出場に向けて改めてリベンジして、最後に8年後までも続けます。その後のことは考えていないですが、とりあえず、8年後まで続けるという気持ちでいます。


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